〔昭和40年 小学校四年の頃〕 小学校の時 通学団というものがあった。 僕の所属する通学団の名前は 鳥居松小学校 通学団 第一分団 町、町裏 と呼ばれた。 まるで 軍隊のような呼び方であった。 班長は六年生が務めた。 班長は 黄色い交通安全と 染め抜かれた 旗を持っていた。 通学の時 旗を持って列の先頭を歩く者が その通学団の 最高権力者 であることを表していた。 班長は その頃テレビでやっていた コンバットのサンダース軍曹のような 存在だった。 ![]() 僕等の班長は 隊員に こんな歌を教えてくれた。 ♪♪一年生が 犬飼って 二年生が 逃がして 三年生が 捜して 四年生が 喜んで 五年生が ごまかして 六年生は 牢屋に入れられた。♪♪ 僕等は 学校に着くまで こんな歌を ずっと歌いながら 歩いていった。 ![]() 学期末には 通学団のメンバーで 子供会の廃品回収の行事をやった。 リヤカーをひき 町内一周。 「廃品回収です。何かありませんか?」 と 一軒、一軒 歩きまわったものです。 悪知恵の働く 僕等のサンダース班長は 新聞紙を水でぬらしたり ブリキの一斗缶の中に 石を詰め込んで 目方を重くした。 そして僕等は 荷物満載のリヤカーを引き 隣の町内のボッコ屋さん〔廃品回収業〕へ 廃品を売りに行った。 ![]() 店には 日焼けして 真っ黒な顔した おばあちゃんがいた。 僕等は そのおばあちゃんを よく知っていた。 リヤカーに廃品をいっぱい載せて えらそうに坂を 登っていく姿を 学校の帰りによく見かけた。 僕等が 後ろから押して手伝うと 「ありがとう。ありがとう。」 と 本当に嬉しそうに 何度も お礼を言うのだった。 僕等が廃品を持ち込むと 秤で目方を計ってくれた。 さすがはプロ。 水にぬらした新聞紙も 石の入ったブリキ缶も とっくに ばれていた。 けれど いやな顔もせず 「ご苦労様。」 と言って 子供会の廃品代とは別に いつも十円づつ ひとり ひとりに 手渡してくれた。 そして いつも 「今度は アカ〔銅〕を 持ってりゃあよ。」 と 僕等に 言うのだった。 |
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